宮島街道名勝旧跡

2016/08/05 広島市西区

「歴史散歩」67 ~広島市西区 海蔵寺物語(2)/山中鹿之助の娘の墓

娘の名は盛江  『軍津浦輪物語』に記述


 比類なき忠誠心を持って、主家・山陰尼子家の再興を誓い、
そのための戦いで天下に勇名をとどろかせた男、山中鹿之助幸盛。
「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話でも有名だ。

 
 山中鹿之助本人は尼子家が倒れたのち、
三度もその再興の戦いを起こすが、夢かなわず、
上月城での戦いに降伏すると、その後、捕虜として移送中に謀られ、
備中阿部川の渡しで殺されてしまう。

 
 ところで、その山中鹿之助の娘の墓(上の写真)は、
前回「歴史散歩66」で紹介した北条氏直の墓がある
広島市西区草津の海蔵寺(下の写真)にある。
 「広島郷土史研究会」発行の『軍津浦輪物語』によると、
鹿之助の妻と娘の「盛江」は毛利に捕らえられ、
草津城主児玉家の本家にあたる、伴や大塚方面を領有した児玉因幡守に預けられる。
そののち、因幡守は、
自分の家に出入りするまじめで才覚のある草津の商人、吉和屋孫六を気に入り、
自ら仲人になって盛江を嫁がせたという。
案の定、孫六は成功し、財産家になったという。

山中鹿之助の娘「盛江」の墓の入口

 
 盛江の墓は当初、菩提寺であった浄教寺にあったものを、
昭和12年に海蔵寺に移設したという。
 また、『軍津浦輪物語』は、山中鹿之助の長男の一 族が、
兵庫県に移り住み醸造業を営んで清酒造りで成功し、
後の鴻池財閥へと発展するという逸話も披露している。
 
【学習共同体 河浜塾 河浜一也】

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