宮島街道名勝旧跡

2016/12/07 広島市佐伯区

「歴史散歩」75 ~広島市佐伯区/五日市城

武将たちの興亡盛衰を見届けたか


その周辺にかつて五日市城があったされる佐伯区五日市。
日本アライアンス教団の五日市キリスト教会(中央)などがある。
正面奥の山は鈴ケ峰。 手前に五日市小学校が見えている
 
 広島市佐伯区五日市のコイン通りの東側に
亀山と小亀山と呼ばれた小高い場所があった。
その亀山はすでに崩され宅地となっているが、
現在、日本アライアンス教団の五日市キリスト教会がある。
その周辺はかつて五日市城があった場所で、光明寺城とも幸崎城とも呼ばれていた。

 
 中世の五日市は基本的には厳島神社の神領だが、
鎌倉幕府によって守護に任命された武田氏が、
現在の安佐南区にあった銀山城に入ると、
武田氏と厳島神主家の勢力がぶつかりあう場となった。

 
 室町時代、京都に銀閣を建てたことで有名な足利将軍・義政は
厳島神領を取り上げ武田信賢に与えると、
厳島神主の藤原教親が五日市城を築いて武田氏の来襲に備えたと伝えられる。

 
 その後、厳島神主家が山口の大内氏を頼った時期や
山陰の尼子氏に呼応した時期もあり、
勢力争いは複雑な推移をたどり、城は、宍戸氏の居城となる。

 
 それから90年、神主藤原家断絶後、
自ら神主を名乗って廿日市の桜尾城に入った友田興藤は大内に攻められ自刃、
弟で養子の広就はこの五日市城に逃げ延びたが、
やはり大内氏に攻められ、宍戸氏によって自害させられたと言われている。

 
 また、のちに武田氏を打ち破った毛利元就は、
1555年の厳島合戦の前には、この城をはじめ周辺の諸城を制圧したという。
 五日市城はそれぞれの時代に彼ら武将たちの興亡盛衰を見届けたに違いない。
【学習共同体 河浜塾 河浜一也】

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