宮島街道名勝旧跡

2017/05/19 広島市西区

「歴史散歩」81 ~広島市西区/旭山神社の扁額

有栖川宮熾仁親王の揮毫による



広島市西区己斐西町の旭山神社は、
戦国時代の厳島合戦の際、
戦の前に毛利元就が戦勝祈願をした神社として有名である。

 
 「広島郷土史研究会」発行の『軍津浦輪物語』によると、
毛利元就はまだうす暗い午前五時に、
己斐産土(うぶすな)八幡宮を訪れて、
毛利家の命運をかけた戦いの勝利を祈願したという。
 (同書本文)「折柄、東天紅の雲の間から、鏡のような大旭日がするすると昇天してきた」
 元就はこれを吉兆と喜び、以来この神社を旭山神社と呼ぶことになったという。
 ところで、その旭山神社の鳥居にかかる扁額は、
明治の初めに有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王の揮毫によることが知られている。
 有栖川宮熾仁親王殿下と言えば、
幕末に公武合体で徳川家茂に降嫁した
孝明天皇の妹・和宮を許嫁(いいなずけ)としていた人物。
どうした運命のいたずらか、
のちの討幕軍の責任者・東征大総督として、
西郷隆盛らとともに和宮の住む江戸へと進軍するという運命に至る。
その心中いかばかりであったか、誰も知る者はいない。
ただ明治に入ってこの話は、
小説や講談などで大小の脚色がなされて庶民の間に「悲恋のストーリー」としてひろがり、
数々の伝説を生み出すことになるのだ。
 こうして、彼は、明治の初めには有名人となったのだろう。
この旭山神社のほか、宮島の厳島神社のあの朱の大鳥居の扁額も彼の筆によるものである。
 
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