宮島街道名勝旧跡

2017/11/02 広島市佐伯区

「歴史散歩」86 ~広島市佐伯区/八幡 城山物語1

 戦略要地…そこには「城」があった

「城山」。東側の崖(がけ)下より馬まわりの跡が見える(左)
 交差点に「城山」の地名(右)
 
 広島市佐伯区八幡に城山(じょうやま)という地名がある。
現在の城山中学校のすぐ東側に削りかけた状態の通称「城山」はあり、
字のごとく、そこには、城があった。

 
 城が造られた時代は室町時代の14世紀・南北朝のころ。
古い時代の城なので、
天守閣などを持たない砦状の平山城(ひらやまじろ)ということになる。

 
 まだ広島市のデルタ地帯が形成される前の時代で、
この城の位置は、当時の広島の守護である武田氏の武田山(安佐南区)と宮島を結ぶ地で、
しかも奈良時代以来の幹線道であった旧山陽道(かげともの道)に面しており、
さらには、石内方面から観音・五日市方面までを見渡せる戦略上の要地であったと考えられる。

 城山中学校
 
 現在、山そのものは頂上から西側がすでに削られているが、
その西側の城山中学校が建つ地との間を通る道は、
かつて西側からこの城山に登るための古い道の名残をとどめる道で、
かつてはこの谷を「蔵谷」(くらだに)と呼んでいた。

 
 蔵谷の奥から城の上にのぼったあたりには
この城の最初の城主の一族の古い墓地があったが、
時代とともに分からなくなり、明治のころには蔵谷の入口あたりの山肌に、
小さな墓地が造り直されて五輪塔や地蔵尊が設置されていたという。
さらにその墓地さえも今は消えてしまい、
城山中の南側崖下にその 一 部が移設されている。
(つづく)
【学習共同体 河浜塾 河浜 一也】


※この「八幡  城山物語」は6回シリーズです。
 
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