宮島街道名勝旧跡

2017/11/02 広島市佐伯区

「歴史散歩」88 ~広島市佐伯区/八幡 城山物語 3

 南朝の忠臣・楠正成の血を引きながら…

蔵谷側から池田城跡を望む(左)
右。古代「かげともの道」はこのあたりを通っていた。
道の正面奥に城山中学校が見えている。

 
 前回に続き、広島市佐伯区八幡の城山(じょうやま)について。
 前回は池田氏と光禅寺祐覚について書かせていただいた。
 一貫して後醍醐天皇を支えた光禅寺祐覚。
南北朝時代の光禅寺の前身五葉院は、
南朝方の一大拠点であったと考えてもいいだろう。

 
 ここで、池田城の最初の城主「池田教正」の出生の秘密について言及する。
 池田教正の父は池田教依という武将だが、
彼は、四条畷の戦いで命を落とした楠正行(くすのき・まさつら)の妻の再婚相手である。
正行は、あの南朝の忠臣・楠正成(まさしげ)の子だ。
正行と死別した再婚相手は懐妊中または連れ子を連れて池田氏に入った。
この子こそが正行の遺児・池田教正で、
その名は、教依と正行から一字ずつを取り教正としたものと思われる。

 
 ところが池田氏は北朝方だった。
南朝の忠臣の血を引きながら北朝に名を連ねることを彼はどのように考えたろうか。

 
 そこで教正は、晩年広島の南朝の拠点・五葉院からの誘いにしたがって、
城山にやってきたのではないか? 
すなわち、広島に来て、南朝方の中心となってくれないかと……。

 
 大阪府池田市にあるもう一つの池田城。
家督は、長子佐正に引き継がれその後、長く家系を伝えている。
そして、「五日市町誌」によると、大阪の池田家の菩提寺には代々の池田氏の墓があるらしい。
ところが、池田教正の墓だけは、そこにはないのだ。
(つづく)
【学習共同体 河浜塾 河浜 一也】
※この「八幡  城山物語」は6回シリーズです。

 
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