宮島街道名勝旧跡

2017/11/08 広島市佐伯区

「歴史散歩」90 ~広島市佐伯区/八幡 城山物語 5

戦国時代、八幡〜石内は戦いの最前線

北西側から見た城山。山はすでに削られて形が変わった(写真左)。右は近くの城山中学校

 
 八幡城山(じょうやま)物語の第五回。
戦国時代に入ると、八幡から石内の地が周辺を巡る諸勢力がぶつかり合う最前線となり、
池田城はこれに巻き込まれる形で、
一時期、武田氏または尼子氏が城代を派遣したものと考えられる。

 
 特に厳島神主家と安佐南区の武田氏は、争いを繰り返した。
そのため、一時期厳島神主家をバックアップした
山口の大内氏と対峙(たいじ)し合戦にも及んでいる。

 
 さらにその後、厳島合戦を経て毛利氏がこのあたりを支配すると、
毛利によって池田城を与えられた高木氏が池田城の領主となる。

 
 高木氏は元々大和の国の武将だったと伝えられ、
奈良県の須弥城城主だった。
一族の一部は、美濃・尾張に移ったことも伝えられている。

 
 後に毛利に仕えた高木信光は、毛利の尼子攻めで活躍し、
その子信安は、槍の名手として名高かったという。
信安は、池田城を与えられると須弥城を引き払ってこの地に入る。
時に1566年(永禄九年)旧暦八月。

 
 そして、関ヶ原の戦いが起こった1600年には、
毛利輝元にしたがって西軍として従軍したであろうことは想像できるが、
実際に関ヶ原の南宮山に参陣したかどうかははっきりしない。

 
 関ヶ原の戦い後、毛利氏が防長二州に移封されると信安と長子信清は、
輝元にしたがって長州の萩に移り住み、城は、二男信行が守ることとなる。 
(つづく)
【学習共同体 河浜塾 河浜 一也】
※この「八幡  城山物語」は6回シリーズです。

 
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