宮島街道名勝旧跡

2017/11/08 広島市佐伯区

「歴史散歩」91 ~広島市佐伯区/八幡 城山物語 6

福島正則の「帰農の勧め」に激しく抵抗

 
 八幡城山(じょうやま)物語の最終第六回。
 関ヶ原の戦い後、徳川によって防長二州に移封された毛利輝元にしたがって
長州に去った高木信安・信清。
八幡の地には、信安の二男信行が残った。

北側から見た城山(写真左)。右は波出石交差点
 
 江戸時代になって1601年に広島藩の最初の藩主となった福島正則は、
厳しい検地・刀狩りを行い、農民だけでなく、
地侍(じざむらい)的な性格を持った武士や毛利の残臣にさえも帰農を勧めた。

 
 高木信行はこれに激しく抵抗していたが、
1615年、城の西方の山上と言うから、現在の城山中学校のある向山か、
茶臼山あたりで花見の宴(うたげ)をしていたところを福島軍に急襲され、
信行自身は倉重の月見山(現在の五日市記念病院あたり)にあった
月見屋敷まで逃げて自刃した。
 周辺に残る「鼻そぎ」「軍の血の原」「かくれざこ」などの古い地名は、
この戦いに由来すると言われている。

 
 信行には、三人の男児があったが、
この時、五葉院谷とも呼ばれた蔵谷の奥の五葉院(光禅寺の前身)にかくまわれて助かり、
それ以後を地域の豪農として生き延びた。

 
 時は流れ、佐伯区八幡周辺にその末裔(まつえい)が現存する。
ただ、その三人の遺児の子孫三家のうち一家は途絶え、一家には養子が入るなどした。
そして、残る一家はその血脈を現代にまで伝えていると言われている。 
(6回シリーズ・完)
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