宮島街道名勝旧跡

2013/09/10 広島市西区井口明神

「歴史散歩」14  広島市西区井口明神/小己斐島

平清盛、厳島神社建立の際の出発点


江戸時代の初めごろ広島市西区己斐から佐伯区へは、
西国街道の交通の難所「井口峠」を通っていた。
眼下には、「小島」があり、島を洗う波が白く砕けるのが見えていたという。

これが現在、広電井口駅の南側、西部埋立第二公園内の池の中に忽然とあらわれる「小己斐島」である。

明らかに風波に耐えたであろうと思われる松が、
風化カコウ岩と見える岩でできた島の島頂を飾っている。
ぐるりと島をまわると、厳島神社の大鳥居をミニチュアにしたような袖柱の付いた両部鳥居に出会う。
しかも、朱塗りの鳥居は水中に立っている。

この地域はかつて海だった。
今でこそ公園内の池の中に立つが、あたりを埋め立てるまでは井口の海岸線にそびえる島だった。
旅人は江戸時代の終わり頃には、井口峠を通らずに、
満潮時を避けてしだいに干潟が広がった、この辺りを通っていたらしい。

明治4年には現在の国道2号線が、大正12年には広電が通っている。
昭和47年に、埋め立てからこの島を守る運動が起こり、島は残った。

かつて、小己斐島にあった小己斐明神はすでに井口大歳神社に合祀されており、
今はないが、井口明神という地名にその名を留めている。

平安の末、平清盛の命による厳島神社建立の際、
ここで鈴ケ峰から切り出された木材に刻印を押して宮島に送ったことから
「刻印の明神」といわれるようになり、その後、
江戸時代に己斐の旭山神社の分祠を合祠したことから、
小己斐明神と呼ばれるようになったとも伝えられる。

海に通じた池には干満があり、今でも海の魚が釣れると聞く。
堤防や雁木も当時の面影を残している。

※「平安堂 梅坪」が、お菓子を通じて文化を継承しようと、
宮島街道ブランド商品として「銘菓 宮島街道」を2012年に発売。
西広島らしい贈り物として喜ばれている。


【学習共同体河浜塾 塾長 河浜一也】

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