宮島街道名勝旧跡

2018/05/15 広島市西区

「歴史散歩」97 ~広島市西区/草津の幸福稲荷神社

軍津浦輪物語〜続く火災から守るために


江戸時代の西国街道に沿ってある「幸福稲荷神社」

 広島市西区草津の街は江戸時代まで何度も大火に見舞われ、
火事を抑えることを目的とした祠(ほこら)もつくられた。
また、軒下を低くし隣との境の壁土を厚くして、
防火中心の建築をする風習が自然にできていったという。

 
 特に1700年代から1800年代の前半にかけては大火だけではなく、
暴風・大雨・凶作も続いたことが、
広島郷土史研究会の「軍津浦輪物語」にも詳しく記載されている。

 
 以前この連載にも書かせていただいた
大釣井地蔵尊がつくられたのも、火事をおさめる目的だった。
 江戸時代の西国街道に沿って建つ「幸福稲荷神社」も
打ち続く火災に懲りた住民が神頼みするしかないと創建したものと言われ、
その霊験も著しかったという。

 
 延宝六年(1678年)、
草津の地域は広島藩の支藩である三次浅野藩の管轄地となる。
三次浅野藩は、
初代広島浅野藩の藩主浅野長晟の子の長治を初代として五万石での分知が認められた藩で、
名君として名高い長治は
忠臣蔵で有名な播州浅野内匠頭の妻・阿久里(瑶泉院=ようぜんいん)の父としても知られている。

 
 「幸福稲荷神社」の社地は「お茶屋敷」とも呼ばれたというが、
これは、この神社の隣地に三次藩の巡視宿舎があったからだという。
 かの時代より時は遥(はる)かに流れ、
火事の多かったこのあたりは、
原爆の際には火を免れた地域に当たるという。
 
【学習共同体 河浜塾 河浜 一也】
 
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