宮島街道八景

2018/11/20 広島県廿日市市

「歴史散歩」103 ~広島県廿日市市/桜尾城の元清とその妻の物語 (3)

元清は深い愛情で妻を守りきる


「来島から厳島を襲撃に来る」という噂(うわさ)となる…
写真は「寝観音」と呼ばれる宮島の稜線 (りょうせん/阿品から)
 

 元清とその妻の物語の3回目。
 
 1572年桜尾城に入った元清だったが、2年後、
またもや岡山方面の戦いを転戦。
その中で、岡山県の穂田家の養子となり
穂井田(穂田)を名乗るようになると備中に穂井田の持つ城の城代もつとめた。
その間、元清は単身赴任状態。
桜尾城は妻に任され、「桜尾の御新造様」と呼ばれて、夫を支えた。

 
 1577年、織田信長による中国攻めが始まると
元清の大車輪の活躍が始まる。
児島の戦いでは、信長方についた宇喜多と戦ってこれを撃退。
また、羽柴秀吉の軍勢に取り囲まれた桂広繁の軍勢を
元清自らが三千の兵を率いて救出。
上月城の戦いでは、自ら軍の先頭に立ち、上月城を落城させるという大活躍。
上月城の戦いの際は妻も上月城の近くに住み、夫を支えたと考えられている。

 
 しかし、この後、二人にとって大きな問題が勃発(ぼっぱつ)する。
それは、妻の実家に当たる村上水軍の来島村上氏が、織田と内通したことが発覚したのだ。
 父・通康はすでに亡くなっており、代はその子の通総に移っていた。
この話には尾ひれがつき、来島から、厳島を襲撃に来るという噂(うわさ)となる。
厳島神社では宝物を桜尾城へ避難させ、女子や子供を佐伯区石内まで逃がすという大騒動となる。
 毛利と能島村上氏・因島村上氏はこれを良しとせず、来島を攻撃、通総は京へと逃げた。
 そんな中、元清は、妻を離縁することなく、守りきる愛情の深さをみせたのである。
             (つづく)
 
【学習共同体 河浜塾 河浜 一也】

 
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