宮島街道名勝旧跡

2013/09/17 広島県廿日市市

「歴史散歩」19  ~広島県廿日市市/中山分かれ・三叉路

キリシタンが歩んだ「津和野分かれ」


江戸時代の西国街道は、広島県廿日市から西へ進むと地御前手前の御手洗川を北上し、
中山分かれを西進し、四郎峠から、大野に至る。
中山の三叉路のすぐ西に、
津和野へ行く津和野街道が合流しており、「津和野分かれ」といわれていた。

1870年長崎のキリスト教徒がこの道を通って津和野藩へ送られている。
長崎で起こった浦上四番崩れと呼ばれる大弾圧で捕えられた隠れキリシタンたちである。

幕末、鎖国は崩れ、国内に住むようになった外国人向けの教会が建てられた。
しかし日本人には禁教が続けられたままだった。

そんな1866年。
キリシタンの一団が大浦の教会を訪れ、
自分たちは250年を超える長い間、親から子へと信仰を伝え、
迫害に耐えながらキリストの信仰に生きる者だということを告白した。
世にいう「切支丹信者の再発見」である。
世界はこのニュースを驚きをもって迎えたという。
しかし、これがきっかけとなり、最後の弾圧が行われ、
津和野には153名が幽閉され、改宗を迫られた。

中山の三叉路から数十メートル西側に津和野分かれはある。
三叉路の近くにある「夜泣き岩」と呼ばれる道標は、
当時あたりにあった三角形の石から泣き声がするということから、
それを鎮めるためにここに建てられたという伝説がある。

真ん中にはうっすらと「南無阿弥陀仏」と刻まれており、
その両側にさらにうすく「コレヨリ右ハ石州、左は九州」とある。

石州津和野への道。
彼らを待っていたのは、乙女峠での迫害と殉教の事件だった。
そして、キリスト教禁止が廃止されたのは、これよりわずか3年後のことだったのである。


【学習共同体河浜塾 塾長 河浜一也】

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