宮島街道名勝旧跡

2013/09/30 広島市佐伯区坪井

「歴史散歩」22  ~広島市佐伯区/坪井将監の石

「よいしょ」と240kgを持ち上げて


坪井将監(つぼいしょうげん)は、広島市佐伯区の坪井に住んでいた武将。
毛利元就の厳島の戦いでは、
己斐城主・己斐直之とともにおとりの城と言われた宮尾城に入城して、
陶晴賢軍をひきつけた人物。

坪井将監については陰徳太平記に
「前々から城内に蓄えていた巨大な石を
鳥の羽根より軽々と引っさげて、大木を投げつけると、
突撃してきた敵兵が盾もろとも砕け散った」(現代語訳)の記述が見える。

佐伯区の伝説によると極楽寺の参道に参詣の邪魔となっていた大きな石があり、
これを聞いた将監は邪魔な石を「
よいしょ」とばかりにかつぎ、
自宅に持ち帰って、その後も時折鍛錬のために持ち上げたという。


「坪井将監の力石(ちからいし)」と呼ばれるこの石は、佐伯区坪井に現在も残っている。
重さは240キログラムというから、
実際には、この石を持ち上げることはできそうにもない。


広島市西区の己斐にも面白い伝説が残る。

将監の娘も怪力の持ち主。
厳島合戦の縁で己斐直之の息子興員(おきかず)の妻となったという。

己斐城に向かう道にも、
極楽寺山の参道と同じような大きな石が横たわっていたものだから、
娘はこの石が気になって仕方ない。
そこで誰にも見られないように真夜中石を動かした。
ところがその様子を城の上から夫の興員が見ていてこわくなり、
娘を離縁してしまったという少しユーモラスな伝説。

廿日市では、極楽寺によく参拝していた将監は観音像に祈りを捧げ、
その加護により怪力となったが、その力だけでは飽きたらず、
より強い力を得ようと再び観音像に祈りを捧げると、
観音像は人間の欲深さを悲しんで涙を流したと伝えられている。

観音像には現在も涙を流した痕跡が残っているとのことである。


【学習共同体河浜塾 塾長 河浜一也】

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