宮島街道いまむかし

2013/11/02 

プレイバック・タイムス ~ 平成6年 ひろしまアジア大会マラソン競技

プレイバック・タイムス4 
「おぼえておきます」平和のマラソン


平成6年。
この年の秋に開催されたひろしまアジア大会のマラソンは
現在のひろしま男子駅伝と非常に似通ったコース設定だった。
平和公園をスタートゴールとし宮島街道を走って廿日市市で折り返した。
折り返し地点は、広電の地御前駅近くだった。



西広島タイムス 平成6年10月14日号から


アジア大会の、広島での開催意義を改めて感じさせるレースだった。
リハーサルだった毎日国際マラソン(3月)は参加126人。
アジア大会は男子16人、女子7人。
男子で見るなら少数でしかも持ちタイムが3時間を超すような選手もいた。
折り返し地点に毎日国際のような「大きな波」はやって来なかった。

常人放れした持久力、集団による駆け引き−−
マラソンという種目が持つ本来の魅力は薄らいだ。
バルセロナ五輪の金メダリストを迎えてなお、寂りょう感が漂った。

しかし、そういう視点だけでは語れないレースだった。
内線で地獄を味わったカンボジアの選手2人が、最後尾を走っていた。
廿日市市内、折り返し地点で反転してきたトップの選手に手を振っていた。
国際大会では初めて目にした光景だった。

レース後のインタビューで、カンボジアの選手が
「平和が一番。平和ならなんでもできる。
 走っていて苦しくなった時は目を閉じて、国の家族の姿を想い浮かべた」と言葉をかみしめていた。
声援を背に受けた時も、瞼(まぶた)を閉じて、この街の空気のまるさを家族に伝えたに違いない。

波も風圧もなかったが、折り返し地点の廿日市市には、
「まちがやってきた」と形容した毎日マラソンどころの話ではないほどの人が沿道に駆け寄った。
「カチカチカチ」と宮島しゃもじで応援した。
下位のランナーにこそ、木の音は高まった。声が飛んでいた。

3時間、42.195kmは、これぞまさに「平和マラソン」だった。
そのことを、カンボジアの選手は体現してみせた。
折り返しの瞬間、目を閉じていたような気がしてならない。

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レースを前に、近くの地御前小学校の5年生が宮島街道を清掃した。
「ゴミ拾いと応援と、その二つの種目で自分たちも参加したい」と。