宮島街道いまむかし

2014/09/03 

「宮島街道 芸術の旅」1  大木 茂 〜 戦前・戦後 広島画壇で中心的な役割

 
大木  茂「壁」−1949 油彩 F60号
『壁』・・・終戦直後、原爆ドームの中の壁。
ドーム内には草木が緑に育ち、壁の間を「希望」に満ちた、青い空が埋めている



 宮島街道プロジェクト参画企業で
地域ブランド商品「宮島街道 銘菓 小己斐島」などを製造・販売する
御菓子所「平安堂 梅坪」(広島市西区商工センター)は、
地域の芸術・文化に造詣(ぞうけい)が深く、
その発掘・伝承に力を注ぐ和菓子の老舗メーカーとしても知られている。

 和菓子製造課の佐藤秀明係長(52)はここ数年、
宮島街道周辺の画家や芸術家を調べ、
「宮島街道 芸術の旅」としてまとめているという。
「8月6日」にちなんだ「手記」を寄せていただいた。
 
 
 「宮島街道  芸術の旅」

 広電西広島駅から二駅、高須駅を降りて数分のところに
戦前・戦後の広島画壇の中心的な役割を果たした画家、
大木茂さん(1899〜1979)のお宅が今も残っています。

 昨年の夏頃だったと思いますが、
その大木さんのお宅を探しに行ってみました。
古い資料からの住所は分かっていたのですが、
現在の番地でどのあたりになるのか見当もつきません。
むやみに一帯を歩いてみたところ偶然にもそれらしい家を見つけ、
表札を見ると「大木」さんでした。
重厚な門扉や塀はいかにも画家の住まいにふさわしい佇(たたず)まいのように感じました。

 
貴重な作品、アルバム

 突然の、初対面の訪問であるにもかかわらず中を拝見させていただく事ができ、
建物自体は原爆にも遭われているそうなのですが、
倒壊や焼失は免れ、戦前に発表された作品や当時のアルバムなど、
貴重な資料を見せていただく事ができました。

  大木茂さんは昭和7年、
斎藤与里が全国に設立した東光会の初代広島支部長を務められた方です。
 戦前は朝光会と名乗ったその支部の
設立時の写真やメンバーで花見に行って上機嫌の一枚など、
当時の様子を彷彿(ほうふつ)とさせる写真がありました。
産業奨励館での展覧会の時の、当時相当にハイカラであったのだろうと思います、
美しいドーム内の様子なども残っておりました。
 
 
「若き日の祖父に会う」

 その大木さんには、
昭和24年頃を中心にした『壁』というシリーズ作品があります。

 廃虚となってしまった原爆ドームの、
英語のメッセージが残る崩れかけた「壁」を描いた作品です。
何点か残っているそうですが、その中には、
茂る雑草の緑が鮮やかな作品もあり、
原爆ドームをただ悲惨なものとしてだけ取り上げたものでもない印象を受けるものもあります。
 
 お孫さんの手工芸作家、平松敦子さん(54)は
「戦前や戦後すぐの作品は祖父の後期の作品とはまた違った雰囲気があり、
若き日の祖父に会えたようでとても惹(ひ)かれます」とおっしゃっていました。

 
展覧会は8月10日まで

 その『壁』の作品を中心に、
お隣古江駅近くの「ギャラリーカフェ月〜yue〜」(西区古江新町)で、
2014年8月10日(日)まで「希望を捜して」と題した大木さんの展覧会が開催されています。
戦後復興する広島の街並みを描いた作品なども展示されています。
ふだん目にする機会の少ない貴重な展覧会になる事と思います。


 
佐藤 秀明さん(さとう・ひであき)
御菓子所「平安堂  梅坪」和菓子製造課係長。
西広島らしい贈り物として好評の地域ブランド商品
「宮島街道 銘菓 小己斐島」(上の写真右)の名前の発案者のひとり。
手にしているのは大木茂の名品「高須の山々」。

※「宮島街道 銘菓 小己斐島」の詳細は
http://www.umetsubo.com/shinazoroe/hiroshima/kogoijima